ハロー!タバタです。
今日は久しぶりにマイサンと二人で公園を散歩してきました。その時に感じたヨーロッパならではのことを書きたいと思います。
一人でベビーカーを押している父親が多い
子供が出来るまでは公園を歩いていても気にしたことがなかったのですが、子供が生まれてからはベビーカーに目が行くようになりました。そして、もちろんお父さんお母さんが一緒に歩いているケースも多いのですが、よく見ると、お父さんが一人でベビーカーを押して散歩している姿もよく見かけます。
私はかねてから「イクメン」という言葉が嫌いで、父親なんだから育児に参画するのは当然だ、と思っています。もちろん自分が完璧にできているというつもりはありませんが、仕事に追われるだけでなく、出来る範囲ではちゃんと育児の責任を担いたいと常日頃から思っています。
ただ、今思いましたが、こういう風に考えていることが、既に日本人的感覚なのかもしれません。ヨーロッパの人は当然のように、考えることもなく、それをやっているかもしれません。とはいえ、実際に聞いたことはないので、個人によるのかもしれませんが・・・(今度、聞いてみようかな)
話は逸れましたが、家族を大切にする文化が浸透しているヨーロッパでは、父親が公園で子供と遊んでいる、散歩している、ベビーカーを押している、そんな光景はもはや日常の一部と化しています。当たり前すぎて、気が付かなかったけど、それってとても素敵なことだなと思います。
日本ではどうだろう
しばらく日本で生活していないので(かつ、ヨーロッパに来てから子供が生まれたので、日本での子育てを知らないので)、日本の子育て環境がどうなっているのかよくわかっていません。ただ、以前こんな投稿を知恵袋で見たことがあります。
ベビーカーひいた父親見ると、「この男の妻は育児サボって旦那が休みの日に夫に育児押し付けて何してんだ?」と感じませんか?
いやいや・・・、本当にこんな人いるんだろうか。でもたまにいますよね。抱っこ紐をつけている父親を見るのが苦手とか。そういう感覚なのでしょうか。育児は母親がするもの、と。
ちょっと考え方が古いですよね。今の時代にマッチしていない感覚です。もちろん夫婦の問題ですから、お互いが納得・理解しているそういう役割分担をしている家庭もあるでしょう。一方で、女性の社会進出で、共働きしている家庭が増えているのは事実です。つまり、仕事するのは男性だけじゃないってことです。つまりつまり、育児するのも女性だけじゃないってことです。
育児とは、「未来を育てる」こと
でも結局のところ強制された行動っていつか破綻するんですよ。自分でやりたい、と思わないと、続きませんよ。
育児という「仕事」(あえて仕事という単語を使っています)は、家族だけの問題ではありません。大きく言えば、地域、社会、国への貢献だと思っています。育児をするということは、「未来」を育てているということです。
今後、この国や世界がどうなっていくかはわかりません。ただ、自分の子供や孫たちがいずれ社会の主役となっていくことは間違いありません。未来は子供達の手にかかっている。それは誰もが認識すべき事実なのです。
そういう大きな視点で子供や子育てということを見守ることが出来たなら、社会も少しは変わっていくかもしれません。そうすれば、赤ちゃんが泣いたからって、子供がうるさいからって、文句を言う人もいなくなるでしょう。仕事でも、子供がいるのに遅くまで残業する人も減っていくし、上司も会社も、社員とその家族の人生をまともに考えるようになるでしょう。
父親が公園で遊ぶ、ベビーカーを押している、そんな光景が日常となる日が早く来るように祈っています。
私の父は、私の息子に対して、「大変な時代に生まれてきたなあ」と言いました。その通りだな、と思いました。10年後、20年後、日本は、世界は、どうなっているのだろう。そんな不安が募ります。
一方で、生まれた時から、スマートフォン、タブレット、パソコンが身の回りにある世代。彼らが大人になるころは、今からでは想像も出来ないくらいの楽しい世界になっているかもしれません。車は自動で動いているかもしれませんし、下手すれば空を飛んでいるかもしれません。「えー、お父さん、車を自分で運転してたのー?」と言われるかもw
そういう考え方をすると、不安よりワクワクの方が大きくなってきます。物事は全て考えようだ、と私は思うんです。だからこそ、育児に対しても視点を変えて見てほしいのです。そうすれば、きっともっと育児に対して寛容な社会や文化が日本にも根付いていくと信じています。
ではでは、アホイ!
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